言えないもやもやをここに置いていく

今年も11月が来てしまった。

信じられない。時の早さが。

 

ボーナスの報道を見て、うらやましいことだと思う。

そして、毎年ボーナス自慢をしてきた友達Aのことを思い出してもやっとする。

誰にも言えなかったから、ここに置いて行く。

 

Aは悪い人ではない。裏表もたぶんない。親切な人だ。

きっぱりはっきりしていて付き合いやすい。

ただ、出会ってから毎年、ボーナスシーズンになると

「もうすぐボーナスだから何を買おう」という話をしつこくされて

とてもいやだった。

自分でも嫉妬だと思うよ。

私は仕事柄ボーナスがないし、家族も不景気でボーナスがない。

A夫婦は二人とも公務員で、金額も地域の民間企業よりはるかに多い

(地域の新聞に金額が出るのでだいたい想像がつく)。

金遣いもすごく荒いので、初期に一緒に遊んでいたころ、実母には

「フルタイム正社員の友達と同じようにお金使っちゃだめよ、あなた主婦なんだから」

と言われてはいはいと思っていたけど、

ボーナスシーズンにはそれを実感することになった。

買い物の桁が違う。

毎回その話を聞くのが本当にいやというかうんざりで、冗談めかして

「うちはボーナスないからさ~」って笑って言ってみたけど、全然通じなかった…。

AはちょっとKYなところがある(よく知人に気遣いのない発言をして

怒らせたりしていた)から、

もっとはっきり「ボーナスの話はもういいわ」とでも言えばよかったのかもしれない。

でもそれもある意味屈辱で。

「あなたんちは公務員夫婦で何百万もボーナスあるって知ってるけど、

うちはないんだけど」って言うのもいやだ…察して話すのやめてくれないかな…

という状況が数年続いたあとに、ある出来事があった。

端的に言えば、私が理不尽な出来事にあって

ひどくショックを受けていたときに笑い物にされた。

たぶんAには笑い物にしたという自覚はなかったと思う。

「えーwww信じられなーいwww」くらいのふざけたノリだっただけだ。

ただ、そのときの私はそれを受け入れられなかった。

私はしばらくAに怒り続けることになった(具体的に何も言わなかったけどリプに最低限の反応しかしなかったし、連絡をこちらからとらなかった)。

それがある年のボーナスシーズン前で、やっとAの自慢話から逃れることができた。

かなり仲良くしていたけど、距離をおいてみると、

 

ぜーんぜん困らない。

 

私が怒ったのを察したのかもしれない。珍しく連絡もなかった。

数か月後にどうしても必要があって連絡を取り合って、

そこからは以前よりさらっとした付き合いをしている。

離れてみて気づいたこととしては、

SNSで人とやりとりしてるときにAがいきなり割り込んでくることに

ずっと不快感を持っていたのだと、あらためて気付いた。

全員相互でも、Aには「横から失礼」って言ってほしかったのだと。

なんでだろうなあ、不思議なんだよなあ。

言われなくても気にしない人が大多数なのに。

 

言ってくれないと気になる人が、Aと、もうひとりだけいる。共通点はない。

もうひとり…Bとしよう。

Bは、付き合い上手で感じがいいけれど、

自分にメリットがない相手は約束を破ったり切り捨てたりするのも平気という人だ。

私も、Bがそういう人だと知っていて、

でも私にとってのメリットを見て付き合っている。ごめんね。

彼女がひどいめにあわせた友達Cのほうが長い付き合いだけど、

でもBのほうが正直、趣味は合う。フットワークもいいし。

Cは優しくて情も深いぶん、彼女や他の人に傷つけられて、

そのぶんを最近、私に依存するようになった。

LINE爆撃されたときは正直どうしようかと思った。

Cのことは嫌いじゃない。なんでも話せて、趣味も合って、いい友達だと思った。

でも、重すぎる。

重いのは苦手だ。

重いのは家族だけで充分。

Cがどんどん人間関係を切っていくのがこわかった。

静かに離れるんじゃなくて、包丁でぶった切るように縁を切るから。

私は苦手だと思ったら、そっと離れてるつもり…相手にとっていてもいなくてもいい人間になるように、静かに。

我が家は子どもより夫がめんどくさいタイプで、すごく執着してくるのだけど、

Cも同じ感じで、そのことにちょっと腰が引けてしまった。

そしてそれが伝わったのか「重くてごめん」と言われた。

ごめん、ほんとにちょっと重い…とは言わなかった。

でもたぶん、ちょっと引いてるのは伝わったと思う。

けっして嫌いじゃないの。愛が重いだけなの。

私にそこまで愛を注いでくれなくてもいいよ、って思う。

あと、あまりにもいろいろぶっちゃけてて、

縁を切ってそれを関係各所にばらされても怖いというのもある。と思っていたけど

何を話したかすぐ忘れてしまうので、今や何をばらされたくないのかさえ忘れた。

(自分のこと、ADHDだろうなと思う。

耳から入った情報が弱い。耳を通過して抜けて行ってしまう感じがある。

話したこと、聞いたことをほとんど忘れてしまう)

 

Bの軽さ、どうでもよさみたいなものが、付き合ってて気楽なのかもしれない。

お互いどうでもいいと思ってるからこその袖振り合うも多生の縁みたいなところが

ちょうどいいのかも。

Cの気持ちはありがたいけれど、その愛に見合うほどの人間ではないって思う…。

 

いずれにせよ、人とほどよい距離感を保っていきたい。

大人になって友達増えて楽しいなと思ったんだけどなあ。

こうも仲間内でもめごとが繰り返されると、ちょっと気疲れした趣味3年目。

 

あと、Bは私の書いたものを読んで必ず感想をくれるんだよね。それがうれしいんだ…。

Cは私のこと大好きとは言ってくれるけど、私の書いたもののことはそんなに好きじゃないと思うし、本当は読んでもいないと思う

それは趣味の問題だからしょうがないと思う。

友達付き合いとそれは別のことだと私も思うから。

 

でも、来年、本を作るつもりだけど、「押し付け」ていいのか迷う。

部数を刷らないから、読んでくれる人に渡したい。

でも付き合いが長いから、読んでくれないってわかっていてもあげないといけないのかな?とか考えちゃって。

本にするって言ったらきっと(付き合いで)「買う」って言ってくれるだろうし、

そしたら「お世話になってるからあげるよ、タダでもらってよ」って

きっと言ってしまうと思う。

でも、私の作品のこと好きじゃない人にあげるのってどうなの?って思っちゃって…。

あげるのは構わない。

でも、あげるならチラ見でも読んでくれるとわかってる人にあげたい。

その点、BがCに人でなし対応をした人であっても、私には親切で読んでくれる人なんだよね…

でも、BにあげてCにあげないのもどうなの?と思うし。

めんどくさいなあ。

まあみんなほしがらないでいてくれたら、むしろそのほうがいいのでは。

超少部数にすればいいもんね。

 

あの、付き合いで買ったりもらったりっていう文化、早くなくならないかなって思う。

 

 

言えなくて何年も思っていたことを書けて、ちょっと心がすっとした。

来年の今頃にはまたこの人間関係も変わっていることだろう。

以前のことのように、過去として振り返れたらいいな。

いろいろあったようななかったような2018

今年が終わるね。

年をとるほど時間の流れが早いというのは本当なんだなあと思う。

今年は親知らず抜いたり、二次創作をはじめたり、新幹線でオフ会に行ったり、即売会で売り子をしたり、自分の書いた話を友人の同人誌に寄稿したり、アイスショーに行ったり、フィギュアスケートをジュニアの大会から追っかけたり(あくまでテレビ観戦)、ライスト探しに勤しんだり、すごく趣味に力を注いだ一年だった。

よく遊びました。

 

来年は家のことや仕事にもっと注力したいな。

もう少し、地に足をつけたい。

 

基本的に快楽原理で生きているので、どんどん楽しいほうに流れてしまう。

でも、趣味をやってみてわかった。

オタクはみんなお金持ちだ。

というか、世間の相場より稼いでる人が多い気がする。

基本的にスペックの高い人が多いとも思う。

 

主婦が同じように楽しむにはハードルが高すぎる。

一介の兼業主婦としては、もう少し趣味に使うお金を減らさないとだめだなって思った。

オタ友と同じように散財していたら、家計に影響が出てしまった、というか、

結婚前の貯金の余剰分(だと思っていた分)がなくなってしまった。

この沼に来て2年で何十万…だよ。

別沼にいたときは家計からひねり出せていたものが、こっちの沼は金額が大きい。

というかイベントごとが多いので、追いかけていると自然と散財してしまう。

本当によくない。

分不相応にお金を使いすぎたと思う。

みんなは趣味に使っていてなお、きちんと生活したり貯金するお金があるんだよ。

 

その予感を感じ始めた頃に出会ったフォロワーさんが

「皆に褒められて調子に乗って同人誌を出したけど、たいして売れないし

遠方から移動費や宿泊費もかかるし、体力も使うし、とんでもないことをした」

っていうような話をしていて、それがすごくしみたのね。

ひとくくりにオタクと言っても、お金を使えるオタクと使えないオタクがいて、

使えないオタクなりに楽しむ方法を見つけないといけないんだなって。

自由になるお金をいっぱい持っているオタ友と同じように遊んではいけなかった。

……というのが、今年の反省ですね。

 

ただ、自分の創作をまとめたものにしたいとは思っていて…

まあ、でも、ごく少部数だと思う。

買ってくれる人なんかいないと思うんだよね。

仲良くしてる人には差し上げるというかむしろ"押し付ける"ことになるだろうし。

でもこの「仲良くしてる人」のラインがすごく難しくて、

どこまで?とも思う。

プライベートなお付き合いがある人までかな。

そもそも、私が本作ったからってお金出して買ってくれる人がいるの???って疑問が拭えない。

人様からお金をもらって渡すようなものを作れるのか?

自分も基本的にお付き合いで買うことはないから、付き合いで買ってほしくないし。

 

そう思うと、本を作るのは本当に

・自分が本を作りたいから

・本の形で自分の文を見たいから

それだけの理由なんだよね。

 

ふだん、ネットの海に消えていくような文章しか書いてないから、本の形で見てみたい思いがある。

子どもの頃は小説家になりたいと思っていたことも、ほんの一瞬だけあった。

学生時代の友達には「いつか小説家になりそう」と言われた。なぜだろう。ブログで日記しか書いてなかったのに。

先日はとても尊敬できる友達から、エッセイ的な日記について「長いのに不思議とするする読める」と言われて、ちょっとうれしかった。

文を読んだり書いたりすることが、自分はとても好きなんだとは思う。こうしてだらだら書くくらいだから、好きだろう。

 

ただ、書いたものが他人にウケるとは限らない。

ていうか、たいていはウケない。

だから、本にすることは、本当に、お金がある人だけが楽しめる趣味なんだなって思って、同人誌文化を見ている。

私も同人誌出すための貯金しよう。

いやー、世の中お金ですね。これは真実だよ。この年になって思うわ。

若いころのじゃぶじゃぶ稼いでた時代の自分に、もっと貯金しとけ!!って言いに行きたいくらい。

 

来年は身の丈に合った趣味の楽しみ方を模索したいと思う。

めんどくさい話

ツイッターのアカウントを複数持っている。

仕事関係、社会問題や政治、趣味1、趣味2、そのほか。

さらに、趣味2のための鍵アカまであった。

相手が鍵アカの場合に話しかけるのに気を使っていたのだ(話題がTLに流れるのもいやな人もいるかな、とか)。

でも、正直疲れただけだった。

気心知れた人しかフォローしてない分、素朴な疑問(私はこの趣味に足を踏み入れて経験が浅いので、不思議に思うことがたくさんあるが、公開で言うのもめんどくさそうなネタ)を呟くと、あるテーマの時に毎回絡んでくる人がいたのだ。

返事をしないと長文DMで言い募ってくる。

友達(だと私は思っている相互さん)にぼかして相談したら、「上から目線のやつはブロックしろ」とか「相手する必要ない」と言われた。

しかし、相手には悪意はまるでなくて、ただ私が何かをやらかす前にと老婆心(相手のほうが若いけど)で言ってくれているようだった。

だからこそたちが悪い。

価値観は人によって違う。

でも、相手…Aさんとしよう。Aさんの言い方は完全に「こうでなければ」「こうしないとおかしい」「そういうのはだめ」とマウントとってくる形だった。

毎回、絡まれるたびに凹んだし、どう返事をするべきか悩んで疲れた。

反論しようものなら倍返しされるし。怒らせても面倒なのが目に見えていた。

泣きながら返事を書いていたことさえあった。なんでこの年になって、泣きながら他人の機嫌を取らなければいけないのかと、我ながら呆れた。

「そうなんだ、知らなかった、教えてくれてありがとう」を言い回しを変えて言い続けるしかなかった。

わりと親しいと思っていたぶんいろいろ相談していたのが裏目に出て、もう疲れてきたけれど、もしブロックしたりしたら言いふらされたりするんだろうかと気に病んだ。

いい人なんだと思う。

ただ、価値観を押し付けてきているだけで。

Aさんはたぶん「正しい」のだけど、「それってこういうことなんだよ」って教えてくれているわりには言い方がきつくて、毎回殴られてるみたいに感じられた。

正しかったらきつい言い方をしていいとは、私は思わない。思えない。

だって何が正しいかなんて、人によって違うでしょ?

ただ、自分としては本当に「素朴な疑問」でしかなかったけれど、それがわりと難しいテーマだったらしいということは、Aさんのおかげでよくわかった(そこまで議論するべき話題なんだなという意味で)。

毎回毎回、説教としか言いようがないくらい言われて、ありがたいけど、疲れた。

そこまで時間を割いて相手してくれなくていいのに、と思うくらい、時間を割いてくれた。

Aさんにとっては大事なことだったんだろう。

Aさんから見たら、私は覚悟が足りない甘ちゃん人間ということになるのかもね。

 

でも、ある日、楽しいはずの趣味でここまで悩むのおかしくない?って思った。

楽しめないならやめてしまえばいい。

縁を切るほどAさんのことがいやなわけじゃない。好きなところもある。

でも、絡まれるのが耐えがたいだけだ。

そこで、人生で初めてSNSのアカウントを消した。

ツイッターのほかにもSNSのアカはたくさんあるけど、消したことがない)

Aさんだけが「どうかしたの、何かいやなことでもあったの」って連絡をくれた。

いい人なんだよ。

めんどくさいだけで。

あなたに絡まれるのが辛くて、とは言えないので、

「あんまり活用できてなかったから」と言っておいた。

 

この趣味で出会った相手で個人情報を教えてしまった人も複数いるけど、

ツイッターを消したら、たぶん98%のみんなとは縁が切れるんだなあと思うと、それはそれですがすがしいかもしれない。

(残りの2%は趣味の友達からご飯友達レベルまで発展した人たちだ)

あと2か月

今年もあと2か月だということに気づき、ぞっとした朝。

1年が早いよー。人間として成長がないままに年を重ねていくことにぞっとする。

さらに今朝は原稿を広げたまま寝ていたことに気づき、ぞっとした。

絶対見られた。

見ても何か言う人ではないけど。

 

急に涼しく…というか朝晩寒くなってきて、家の中も冷えるようになって、

でもこたつを出したら負けかなと思って、

トレーナー地で裏起毛のマキシワンピース(とても温かい。そして同じシリーズの去年のものよりは毛玉にならなそう。去年は1回来ただけで毛玉まみれになっていた)を着たり、ヒートテック靴下をはいたり。

ちなみにこのワンピ。

item.rakuten.co.jp

ヒートテック靴下はユニク○だと1年もたないどころか、一昨年には3か月ももたなくなってしまったので(穴があいてしまう。質?それとも足癖…?)、昨年はしまむらのを買ってみた。こちらのほうが厚手。ユニクロよりはもったと思う。でもシーズン中に穴を縫った記憶はある。

穴があかないヒートテック靴下、どこに売ってるんだろう…ほしい。

家がフローリングだから寒いんだよね。あと、スケート教室に行く時に履くの。

 

少しずつ冬が近づいてきてる感!

やだやだ!

夏休み終了

ついに夏休みが終わりました。長かった。42日間!

何してたかなって振り返ると…

 

・花火大会に行った

実家の定番行事。人ごみだけど歩いて帰れるのが最高。花火も近くてきれい。もうわざわざ遠くまで人ごみにもまれて花火に行こうと思えない。

 

・ドライブ旅行に行った

鳥取と岡山に軽自動車で行くというドライブ。楽しかった。普通車もあるのだけど、子が軽のほうが好きなのだ…。

ずっと行ってみたかった山奥のパン屋さんに行き、海水浴をし(私は見学してた。海水べたべたするからめんどくさい)、鬼太郎の街を夜間散策し、青山剛昌ふるさと館に行き、道の駅で地魚の海鮮丼を食べ、大山と蒜山高原で朝のお散歩をし、岡山の大好きなホテルでマスカットオブアレキサンドリアと清水白桃のパフェを食べて帰ってきた。清水白桃は最高に美味。また食べたい。

 

・ミュージカルに行った

同じミュージカルに2回行った。山崎育三郎は目を惹きつけるオーラの持ち主(華があるとは彼のような人を言うのだろう)で、ステキだった。涼風真世さまと香寿たつきさまも美しくて歌がめちゃくちゃ上手で素敵だった。やっぱり生歌は素晴らしい。行けてよかった!

別のミュージカルのチケットをもう取ってあるので、そちらもとっても楽しみ。

 

・コナン展に行った

名古屋市科学館。なかなか面白かった。あかあむのお友達と行ったので「推しがかわいくてしんどい」とつっぷしていて幸せそうだった。前売り券を忘れて行くというポカをやらかしたので、もう一度行かねばならない←

 

・愛車(軽)を車検に出した

もう5年も乗ってるのねえ。ナンバーのひらがなが子の名前に入ってる字なので、子が車を絶対に買い替えるなと言いだしてめんどくさい。でも車自体は、私も気にいっている。

軽は事故ったら死ぬというので、できれば買い替えたいという気持ちも出てきたのだけど、私の車種は普通車並みの強度はあるらしい。むー。でも衝突防止機能はちょっとほしい。

 

アイスショーに行った

町田樹がどうしても生で見たい。

それだけの理由でPIWのチケット取りをしたのだけど、その後にアイスショー引退の発表があった。なんと初めてが見おさめになってしまうとは…埼玉には行けないのである。無念。

彼がずっと気になっていて、やっとやっと生で見ることができた。スケーターはみんな独特の世界をもっていると思うけれど、格別だった。なぜ好きなのかわからないけど、とても好き。私にとってはそういう人だ。

(今考えると、理屈をこねていて何を言っているのか傍目にはよくわからない、でもその人の中ではすごく確立されていることを言っているらしい、そういう人が好きみたい。別の推しも含めて考えるとそういう傾向が自分にある気がする。たぶん「ああ、そういう物の見方があるんだな」って気づきをくれる人が好きなんだと思う)

 

・イベントに行った

いわゆる同人誌即売会である。人生で…3回目、いや4回目か。中学時代に一度行ったことがあった。ドラクエのスケブを描いてくれた優しいお姉さんには今でも感謝している。

このジャンルにはまって去年のこのイベントと、今回が大きなイベントであった。間の1回は地元のもので、ほぼお友達の本を受け取りに行くだけという状態だった(あの時はコスプレ親子とかいてびっくりしたなあ、小学生って即売会入っていいのかって驚いた。超大規模じゃなかったからだろうか?)。

前回は完全に一般で、でもお友達のご縁でサーチケを頂けて、ほしい御本をすべて手にするというラッキーにありついたのだけど、今回はなんと売り子をすることになり、緊張のあまり寝付けなかった。

…そういえば、イベント前夜祭でオカマバーに行くという人生初の経験をした(初対面のお友達が連れて行ってくれた)。ドラァグクイーンさんがとっても美しくて、隣に座られて見つめ合ったときには「すっごく美しいですね…」という変態的なコメントしかできなかった。目力すごかった!!!美しいって本当にいいことね。

 

即売会では役割を果たせたのかはともかく、自分が参加させていただいた御本をお渡しできて、本当に何もかも貴重な経験をさせてもらったと思う。

心根にサービス業がしみついてるせいで、めちゃくちゃにこにこしていたらしい。ミスしないか、迷惑をかけないか、ガチガチに緊張していたのに。

だいぶ落ち着いてきた頃に、お品書きを見ていた方に「お決まりでしたらどうぞ」ってお声がけしたんだけど、それがどうもふぉろわさんであったそうで、あとであれめっちゃよかったと言ってもらえて、なんだか照れた。緊張してる時って何やるかわからんね、自分…

でも、いつもSNS上でお話ししている方に直接お会いできてお話しできて、感謝と感激でいっぱいの1日だった。

イベント楽しい!って気持ち、よくわかった。私もいつか自作の本持って参加できたらいいなって思ったもんね。まあ10部くらいしかいらないと思う。それだとお世話になってるお友達に配って終わるなあwでもそれでいいと思う。私がそれで幸せだと思うから、それでいいんだよ。

たったひとりだけ、最初の作品を出したときに「本にして」って言ってくれた人がいて、その一言がものすごく私にとって大事なものになっている。目の肥えたお友達がくれた感想ももちろんもちろんものすごくうれしかったんだけど、知り合いでもない通りすがりの誰かがくれた一言がしみる時ってあるでしょう?

私の場合は、なんだろう、読みたいものと書きたいものが違うんだよ。アウトプットにはどうも性格が出るようで、エンターテイメント性が低い、くそまじめなものしか出てこない。

まあいいや、どうせ趣味だ。楽しんだもの勝ちだ。自分が書きたいものを書けばいいんだよ。自分の書いてるものについては、そういう意識でいる。もちろん反響はうれしいんだけどね。

今回寄稿した作品についても、同じ傾向のあるお友達がほめてくれて、うれしかったな。識者の手も借りつつ、自分史上最大に頑張ったお話になったと思う。満足してる。でも、紙の本になったことがどきどきしすぎて、自分のところは未だに読めていない。これから読む。

 

・原画展に行った

沼ジャンルの原画展が近くに来たので、行った。やばかった。すごかった。何時間でもいられる。誰か私と行ってくれ…萌えをその場で話し合いたいんじゃ…なぜ誰もいないんだ今…そういう気持ちだった。今週もう一度行くけど、誰かいないかなあと思っている。

 

 

…そんな感じ。

夏休みの前半、ひたすら宿題の追い込みしてて、後半は遊びが爆発した感じになってしまった。いい母親ってなんでしょうね。ははは。

でも子どものためと言って何かを我慢することはできないんだよね。我欲優先。だって一度しかない人生じゃん。どうしても行けない時は我慢してるけど、行けそうならチャレンジしちゃう。そんな軽い感じで生きてる。

もう少し子どもと向かい合ってあげなきゃなあと思うけど、じゃあ、向かい合うってなんだろう?とも思う。私自身の人間としてのポテンシャルが低すぎて、何かを教えてあげることもできないし。難しいなあ。ピアノも英語の発音も私より子のほうが上手だし。

子が何かやりたいと言い出した時に手助けできる存在でありたいけど、正直、子どもが何かをやりたいと言い出すには、そもそも「何か」との出会いを設定してあげる必要が(原則的に)あって、子どもに何が響くかわからないのに親が設定してあげるのってすごく難しいなと思う。時間もお金もチャンスも有限だし。地方だから「何か」の幅も狭い。そういう点で都会はやっぱり有利だなあと思う。

 

…何が言いたいのかわからない〆になった。

そんなに出かけたつもりはないけど、よく見ると親子ともいろいろ出歩いた夏休みだった(子はこれに加えて実家でのお泊まり会2回、お友達の家でのお泊まり会1回があった)。

今年も後半だ。

仕事と貯金、来年のイベントに向けての原稿、子の習い事の動向、学校の勉強の理解度、そういうものを意識して過ごしていきたい。

 

準備

土曜から1泊でイベントに行くので、そろそろ慌てて準備を始めた。

今朝は友達とモーニングの約束をしていたのに、寝坊。はいはい大丈夫よというノリで許してくれる友達でよかった。沼の話をしてジェリコを食べて解散。

その足で美容院に行ってさっぱりした。切り終わったあとにいつも、つい「さっぱりした」と言ってしまうので、美容師さんには申し訳ない気がしてきた。“さっぱり”するだけなら1000円カットでもいいのでは…?感想のレベルが低いよなあ。

でも、2か月、あるいは3か月、髪型が崩れないまま伸びるので、結局、同じ美容師さんにお願いしてしまう。

それから、会社に寄りつつ、駅へ。気持ち悪いのでお昼は抜き。

旅の切符を買う。

往復割引、距離による有効日数の延長などさんざん調べておいたにもかかわらず、結局みどりの窓口でお姉さんに相談して買う。

気楽に遠征するようになり、電車(列車?電車というのは電化されてるところの話だよな…)には詳しくなってきた気がする。何事もオタクになりがち。この気質は一生変わらないのだろう。

駅ビルで差し入れ(悩んだあげくまた入浴剤だ。パッケージはかわいい)とサコッシュ的なかばんを買い、携帯の充電がなくなってきたので帰宅。

家で工作をしているさまを眺めつつ、予定の確認。

夕飯は冬瓜とベーコン、玉ねぎ、小松菜のスープ、豚肉とキャベツのケチャップ炒め、焼きなすと蒸しなす。なす最高。

これから旅行の計画を提出して、仕事して、支度する。

せっかくイベントでお会いできる方に手紙を書きたいんだけどなあ。

 

はじまり

ふと思い立って取ってみた。ブログなんて15年ぶりくらいだ。時の経つのははやい。ははは。

今日(もう昨日だ)は、3時半に家人を起こして代わりに寝て、9時半起床。だらだらとブランチ。ピザトーストゆでたまごミニトマト。最近、ゆでたまごの殻がはがれない。半熟にゆでているからだろうか。卵はそう新しくないのに。

食事しただけでえらく疲れて、たまった録画を見ながら昼寝。15時くらいに起きる。夕方、送り迎えしながらダイソー。狙っていたサコッシュとクールスカーフはなかった。残念。明日しまむらにでも行くことにする。

夕飯のメニューが思いつかず外食。明日はちゃんと作る。帰りに母に頼まれたミュージカルのチケットを回収して帰宅。

入浴後、またちょっと寝ていた。この数日寝てばかりいる。

そこからサークルチェックなどして、この時間。

全然原稿できていない。思いついた端から勢いで書くのがいちばん性に合うらしい。というか、それしかできないみたい。いい年して情けない。計画的に生きたい。